演劇女子部 ミュージカル『TRIANGLE -トライアングル-』感想レポ 本当の黄金時代はこれから始まる

池袋のサンシャイン劇場で上演された演劇女子部 ミュージカル「TRIANGLE -トライアングル-」を鑑賞してきました。ひとつのお芝居を α編と β編の二本立て見せるミュージカルです。

個人的には、Berryz工房の活動停止以降、それぞれのメンバーの活動は可能な限り、ファンに向けて公開される限りで、しっかり追っかけようと思っていることから、この舞台も鑑賞することを早々に決めており、当日は喜び勇んで現在活動停止中のBerryz工房、須藤茉麻さんに客席から逢いに行ったところ、すっかり舞台そのものに魅了されて泣きながら帰ってきました。

ミュージカル「TRIANGLE -トライアングル-」、ほんとうにすばらしいお話でした。とりわけ、ラスト近くのキリ・ド・フォン・ルキアノス(鞘師里保)の隠された心根と演説、そしてサクラ姫(石田亜佑美)の選択は、直球すぎて「良かったよ」と言うのが恥ずかしいくらいですが、すばらしかった。でも、このあたりは詳しく書いてしまうと、この先DVDを楽しみにしている人に申し訳ないので、「すばらしい舞台でした」とだけ伝えながら、周辺的な感想を述べることをお許しくださいね(以降も物語のスジには立ち入りません)。

プロデューサーは丹羽多聞アンドリウ氏。
丹羽多聞アンドリウ氏といえば、かつて青山円形劇場のリアルエチュードでもプロデューサーを勤め、当時は「よくも熊井ちゃんを泣かせたな!」と思ったものでしたが、今回はすっかりこちらが泣かされてしまったという次第。

ひとつの物語に二つのアングル

まったく同じ物語が α編と β編の二つに分けられており、相互にお互いの謎解きになるような構成のこの舞台。どうしてあの人物があんな判断をするのか不明な部分(鑑賞中は演者の迫力の演技に、そんなことを考える暇はないけれど、落ち着いて後から「?」と思う)も、もう一方を見ると納得です。

ひたすらにサクラ姫(石田亜佑美)が可憐で愛らしく、キリ・ド・フォン・ルキアノス(鞘師里保)の見せ場の説得力が大きいのは α編(鞘師ちゃんの迫力の殺陣は α編のみ)。β編は、アサダ(工藤遥)とローズウッド(小田さくら)の物語に力点があって、どちらも(お互いの謎解き部分を度外視しても)楽しめます。

個人的には α → β の順番で見たので、どちらか一方だけを観るなら α編をおすすめ中。主題歌の「触れれば心があふれだす」のフレーズは、カーテンコールで流されると、思わずこちらの心もあふれ出しますよ

キャスティングの妙味:配役に重なるメンバーたち

出演は、モーニングから譜久村聖さん、鞘師里保さん、石田亜佑美さん、佐藤優樹さん、工藤遥さん、小田さくらさん、尾形春水さん、野中美希さん、牧野真莉愛さん、羽賀朱音さん。そして(自粛)。
つばきファクトリーから小片リサさん、研修生から高瀬くるみさん、演劇女子部から石井杏奈さんと小野田暖優さん、そして我らが須藤茉麻さんに、2名のアンサンブルというメンバー。

モーニング12期メンバーは、電気を発する謎の生物スワスワ役に加え、それぞれ、まーちゃんダイスの弟役の露天商(尾形春水)、鞘師リキアノスさんの部下クラルス(野中美希)、お姫さまの姪っ子リベット(羽賀朱音)というダブルキャストで、牧野真莉愛さんは物語の展開を促す重要なスワスワ個体役。

謎のスワスワ語しかセリフがないのに舞台でくるくるしてるだけでそのスワスワの愛らしい性格がわかる真莉愛ちゃんの表現も、お姫様が迷い込んでしまう場末の市場風の場所で、通せんぼする時の飛び上がり方だけで目立つ尾形春水さんも、女王様のお尻を触っていそうな王さま茉麻も、小片リサさんの美少女っぷりも、書き始めるときりがありませんが、実にすばらしかったです。

ですが、何よりも、配役の妙味に唸ります。
舞台の登場人物の造形が、その役柄を演じるメンバーのハロプロにおける性格や特徴を、きちんと踏まえている点に、まずは単純に驚き、次いで、それが物語に深みを与えていることに感じ入ります。
キャスティングがGJすぎます。

鞘師里保とキリ中尉

殺戮に明け暮れる惑星から戦いの日々に倦んで、争いのない惑星アルファに亡命してきたというキリ・ド・フォン・ルキアノス。

実は α編のラスト近く、この亡命の顛末の真相が短いシークエンスで明かされます。それを踏まえて、ラストのルキアノスの演説であったり β編を見るなら、確実に3倍泣けます。

普段は寡黙で、あんまり喋らないけれど、その実、秘めた部分に熱い想いを隠し持っていたり。戦いの技やかけひきといったスキル面が強調され、その強調される側面でこそ必要とされる立ち位置であったり。こうしたルキアノスの人物造形は、モーニングにおける鞘師さんに、とても似ていると思いませんか。
もちろん、何度も繰り返しているように、物語そのものも感動的なのですが、寡黙で冷静で功利的だとばかり思われがちなルキアノスが、α編ラストで、秘めた想いとその由来を明らかにする場面では、個人的には、道重さん卒業セレモニーでの鞘師ちゃんの「これまで不器用で、ちゃんと伝えられていなかったけど…道重さん!本当は大好きです!!」というセリフが重なってしまって、投稿者は恥ずかしい醜態をさらしてしまいました。

譜久村聖とイオタ女王

天のお告げを聞くために、一定期間の眠りを強いられる女王さま。
このお告げの宣告が、女王さまの権力の乱用につながるものではなく、むしろ女王さまが惑星アルファの民のために、自らの生活を犠牲にしてのものであろうことは、ラスト近くにサクラ姫の幸せを願う王さま茉麻のセリフから示唆されるところです。

道重さんからのバトンを受け継いで、9代目モーニング娘。リーダーとして、譜久村さんが時に望まぬ厳しさを示さねばらなぬ場面も、自らの資質に反して、あえてリーダー然として振舞わねばならぬ場面もあるだろうこと。女王さまの(必ずしも舞台中で明言されない)犠牲と虚勢は、春ツアーの千秋楽である武道館を成功裏に終えることができた安堵からか、思わず涙を見せてしまったリーダー譜久村聖さんの姿に重なります。

工藤遥とアサダ

惑星アルファに光をもたらしたスワスワたちを制御できるアサダ。
うっかり触ると感電してしまうスワスワも、アサダが絶縁してくれるから、アサダと手を握っている限りは触ることができるという設定も、どこか工藤さん当人に通じるように思います。
加入した初期の頃から、バックステージでは、Dマガのカメラマンさんからの信頼も厚いのか、なぜか独白調で、バックステージのあれこれを語る場面が多かった工藤さんですが、あのわちゃわちゃした雰囲気を、きちんと言葉にできる力は、バックステージのスタッフさんからこそ高く評価されていたのでしょう。
とりわけ、まーちゃんを制御できるのは、工藤さんだけですもんね。

そして最後のアサダの選択までにいたる内面の紆余曲折も、ナルシスト的な部分をメンバーからさかんに揶揄されながら頑なに認めようとしない工藤さんに重なるようで、「ボーイッシュなイケメン工藤が男役」という以上に、ぴったりの役柄だと思ったものでした。

小田さくらとローズウッド

ローズウッドさんは、ある選択により過酷な運命を背負っています。そして、その選択を後悔していません。過酷な運命を背負いながら、誰かを愛し、愛する者のために自身を犠牲にすることを厭いません。
これは、小田ちゃんが、唯一、同期のいない、たった一人の11期であることや、それでも、モーニングの欠くべからざる大事な一員であり、バックステージのDマガなどでも、メンバーを小田ちゃんなりに観察した視点から、いろいろお知らせしてくれる姿に重なります。

物語の開始を告げるサクラ姫の結婚相手のお告げを物陰から立ち聞きしてしまう場面など、ひとりでうろちょろしながら大事な場面に居合わせる小田ちゃんのまんまだと思ったものでした。

佐藤優樹とダイス

ダイスの登場場面は、それまでサクラ姫に感情移入しながら見ていた立場からは、とっても邪魔な闖入物であるかのように感じられますが、これが物語を大きく展開させる大事な場面になります。サクラ姫やアサダたちが、それぞれに気持ちの焦りと共に抱え込んでいる大事な悩みなど何処吹く風とばかり、ダイスは、そんなサクラ姫たちの事情なんかおかまいなく、自分にとって大事なことだけを押し出してきます。しかし、そんなダイスたちの闖入により、物語は大きく方向を変えていきます。これも、モーニングのまーちゃんに重なります。

せっかくいろんなことを(ステージのMCでもバックステージのメンバー同士の会話でも)進行させていたのに、まーちゃんにとって気になる一言があれば、それを捉えては大騒ぎして、せっかくの進行をかき乱す まーちゃんです。でも、その まーちゃんのかき乱しが、実はリアクションに困っていたメンバーを助け、実は進行に四苦八苦していたメンバーを助け、そうでなければ知り得なかった素顔のメンバーを私たちファンに垣間見せてくれ、そして場の進行そのものを促進していることは、よく知られたことです(マジで)。

アフタートークの自己紹介で「ちょこっと貴族も演ってまーす」と言う部分さえも、上述の天真爛漫まーちゃんに、最近のおすまし まーちゃんの愛らしさが「ちょこっと」加味されている部分に重なるようにも思えます。この先、まーちゃんは、どんどん「貴族」の役割のウェートが大きくなっていくのではないかな、と。

そして石田亜佑美とサクラ姫

可憐で愛らしいサクラ姫。
ネットの評判では一部、「「だーいし感」を封印したのが良い結果につながった」なる趣旨の評価も流布しているやに見受けられますが、やっぱりサクラ姫は石田さんに重なります。

β編でのサクラ姫を評してのアサダのセリフに曰く、「思っていることと、話すことが同じ」、これは私たちが見る石田さんそのものではありませんか。
ステージ上で、それはもう、嬉しくて嬉しくてたまらない様子の石田さんも。Dマガの撮影スタッフから通し企画を依頼されて、くるくる表情を変えながら、その説明を聞いている様子も(vol.72)、その通し企画で鈴木さんから意外な好意を告白され、おどけた雰囲気に照れを紛らわせている様子も(vol.72)、いよいよ通常のホールライブが終わってしまって「終わっちゃった」と泣いている道重さんに対して同じく泣きながら「今日も可愛かったぞ」と語りかける健気すぎる譜久村さんという、その2人を遠巻きにしつつ、自分もその輪の中に「うわ~~」と混ざりたい風を見せながら、微妙に空気を読んで躊躇している石田さんの様子も(「道重カメラ特別編」特典映像)。

スベりまくって何かと残念なことになり、本人が意図しない笑いをさそう「だーいし感」ですが、そちらの「だーいし感」ではなく、ぴょんぴょんした振る舞いやくるくる変わる表情など、自分の気持ちを自分が感じている以上に(意図せずに)外に出してしまっている愛すべき「だーいし感」、この「だーいし感」の可憐な側面こそ、サクラ姫そのままであるように思います。

メンバーの関係性も

こうしたメンバーのあれこれが踏まえられたのは、登場人物の造形だけではありません。メンバーの関係性を意図的に織り込んだのではないかと想われる場面も散りばめられています。

あれこれ言い出すと終わらなくなるしネタバレにもなりかねないので、ちょっとだけ。
サクラ姫とローズウッドさんが、「ここからは敬語抜きで」とする場面があります。その「敬語抜きで」を受けて、サクラ姫が、これまでの可愛らしいサクラ姫とはうって変わって、ローズウッドさんをぞんざいにベッドの脇に呼びつけるシーンなど、ニヤニヤしちゃいますよね。
また、とある儀式で、女王さまに「苦しゅうない」と言われ、「よ、よろしいのですか」と戸惑うルキアノスさん。あとちょっとで女王さまに触れられるというギリギリのところで巨大戦艦が上空に接近という急報を受け、儀式の場を後にするはめになり、結局、女王さまの肌の質感は味わえないままとなってしまいました。

例えばの話し、古典芸能を堪能するためには、かなりの勉強が必要なようです。いろんな背景や来歴といった伝統の中身を追いかけて、目の前の舞台の演目以外に、たくさんの外部情報を読み込まないと、ちゃんと楽しめないのだとか。
もはや、ハロプロの演劇は、この意味で「古典」の域に達していると言っても過言ではありますまい。

そうであるならば、モーニング娘。とハロプロのあれこれを踏まえた時に、このミュージカル「TRIANGLE -トライアングル-」は、表向きの物語を楽しむだけではなく、何重にも深堀りできる優れたコンテンツでもあり、ルキアノスさんの演説に思わず横アリの鞘師ちゃんを重ねてしまったように、表向きの物語もまた深みを増すことになります。
将来のDVDが、今から楽しみでならない仕様となっております。

モーニングの見方をも変える、すばらしい演技

そうしたメンバーたちの関係性によって物語の深みと鑑賞の楽しみが増幅されるのは間違いないとしても、そのことだけを述べるなら、いわば物語にとっての外部情報に頼るなんて、舞台それ自体としてはどうなんだ?といったことにもなりかねません。
もちろんそんなことはなく、舞台単体で、舞台で繰り広げられる演者たちのパフォーマンスそのものも、十分に迫力あるものでした。

α編で演じられる鞘師さんの迫力の殺陣も、舞踏会の場面で鞘師さんと石田さんが見せてくれるダンスも、実にすばらしいものでした。ダンスだけに目が奪われがちですけども、うっかり一人でスワスワに触れてしまって感電してしまうシーンでの石田さんの身体全体を使った一瞬の反り返りなど、身体表現としても、随所に見所があります。

劇中歌の合間にセリフが挟まることも多く、歌唱とセリフを交互に繰り返すメンバーたちですが、音程も外さず、声も裏返らず、この切り替えは見事です。特に歌唱メンと言挙げされることのないメンバーであっても、その歌の上手なことに、改めてメンバーたちの研鑽を知らされます。

そしてなにより、メンバーたちの演技が非常にすばらしかった。
むしろ、「さすがモーニング娘。長年、歌とダンスで鍛えられただけはある」という以外の部分でこそ、今般の舞台のすばらしさが際立ったように思います。
とりわけ上述の、鞘師さんと石田さんのフラメンコ風のダンス。ダンスに誘いながらもルキアノスがサクラ姫にわずかでも触れようとしない、そんなダンスの場面で、ルキアノスの激しいダンスに縦横に呼吸を合わせながら、どこか戸惑ったような表情を残しているサクラ姫の石田さんに注目です。

あるいは、セリフにのせて感情がびんびん響いてくるローズウッドさん。
小田ちゃんの演技には、ほんとうに刮目です。
ローズウッドさんが α編であんなことをしている理由は β編を見るまではわからないのですが、それでも α編の段階で、セリフにのってる感情に驚かされます。その切なさが、ちゃんと理由を含めて “頭で” 理解できるのは β編であって、α編だけの段階では、どうしてこの人がこんなことをするのかは、見ている観客にはわからないはずなのに、ちゃんと切ない。

ほかにも枚挙に暇がありませんが、この「さすがモー娘」という、歌とダンス以外のところでの、メンバーたちのしっかりとした演技こそ、すばらしかった。

*****

投稿者は、モーニングやハロプロという箱ありきの、現役のメンバーのステージでのライブ活動こそが、その魅力の中心であるという見方を、どうやら無意識にしていたようです。

モーニング娘。こそがメインであって、その新陳代謝として入れ替わっていったメンバーのことを、モーニング娘。のメンバーである限りでしか見ていなかったのではないかと、この投稿者は反省しきりであります。

舞台「TRIANGLE -トライアングル-」を鑑賞して、メンバーたちの演技そのものに驚いたことから、やがてモーニングを去ったとしても、その先のメンバーの芸能人生をこそメインとして考えること、そのメンバーの芸能人生の一過程としてモーニング娘。を見るという可能性を学ぶことができました。

モーニングで、ハロプロで、ステージの上でガチで歌とダンスを鍛え上げる年月を重ね、体力も舞台の緩急も、共演者との呼吸も身につけた上で、ミュージカルやお芝居を経験していった彼女たちが、やがてモーニングやハロプロを去って後、どのような表現者として私たちの前に現われてくれることか。
鞘師ちゃんのストイックさと哀愁を帯びた背中が、石田さんの意図せず漏れ出す愛らしさと素直な弾むような心が、小田ちゃんのどこか憂いを帯びた落ち着きと表現力が、この先(よしんばモーニング娘。を卒業しても)、どんなすばらしいものを私たちに見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。

ハロプロの黄金期は【常に】これから

このように「表現者」としてのハロメンの凄みを実感して、私は、あのライバルサバイバルを追ったDマガにて、ライバルサバイバルに続く「9期メンを迎えて」の衣装でインタビューに答えている当時のリーダー、高橋愛さんの5年前の言葉を思い出します。

曰く「今があるのは先輩たちのおかげだけど、私とガキさんなんて10年やってるんだから、今のメンバーがやってることは、先輩たちにはできない。今が過去最強(趣旨)」と。

あの時、自身卓越した表現者であった高橋愛さんから絶賛された当時のメンバーは、もう誰ひとり残っていません。今、現役で活躍するメンバーは、この高橋愛さんが「最強」と評したモーニング娘。には、誰もカウントされていません。
それでも、あの時、心から血の涙を流しながら、横アリのライバルサバイバルのステージに魅せられた投稿者は、今、池袋サンシャイン劇場に立つメンバーたちの演じるパフォーマンスから目が離せません。

モーニング娘。に限らず、5年前というわずかな昔を思い出しても、ハロプロの顔ぶれは、ずいぶんと変わりました。しかし、高橋愛さんが、自信を持ってカメラの向こうを見据えて残してくれた言葉は、どうやら変わらないようです。

今があるのは先輩たちのおかげだけど、今が過去最強だ、と。常に。

*****

こんなにもすばらしいものを見せてもらって、私の人生がどれほど豊かになったことか。
舞台上のメンバーと、ハロプロと、そのハロプロを知るすべてのきっかけとなった道重さゆみさんには、私は、どれほど感謝しなければならないことかと、投稿者は思うのでした。

 

 

最後に。

投稿者は20日の土曜日に α編を、23日の火曜日に β編を鑑賞したのですが、まったく同じ日程で、熊井友理奈さんもサンシャイン劇場を訪れていたと知り、なんだかわからないけれど、手ひどいダメージを受けていることを報告してみます。
く、く、く、熊井ちゃんが来ていたのかっ

(文=kogonil)

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コメント一覧

1 : avatarアライブ名無しさん:2015/06/29(月)15:35:26

α編しか見に行けませんでしたが、レポート内容にいちいち禿同です。
鞘石のファンとしては、やはりキリ中尉の不器用で内に秘めた熱い想いや優しさ、サクラ姫の本人もあまり気づいていない可憐さや責任感に、やはり惹かれてしまいました。

DVD発売後の暑(苦し)いレポートも期待してます。

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