やっぱり自分はももちのことが好きだなぁ。知ってたつもりなんだけどやっぱり好きだなぁって、嗣永桃子ラストライブを見ながら、何度噛み締めただろうか。たとえば、その笑顔。
ももちの歯は、そのひとつひとつが小さく可愛らしく、美しくまとまっている。前歯も犬歯もほとんど同じような感じでこじんまりとお上品におさまっている。ももちが笑うと、整然とならんだ小さな歯は控えめな印象とともに、ひょっこり顔を出す。こだわりなのか、ももちは口を閉じたまま口角を上げることがよくあるので、奥歯、延いてはそのまた奥まで見えそうなぐらいなのだ。そこがかわいいですよね。
ももちは笑うと目尻がキュッと引き締まり、目を優しく細めたその分だけ、黒目の中心に光があつまる。同時にももちの黒い瞳がキラキラと白く輝くのは、まるでレンズがそこを通る光を全て集めておいて、焦点というたった1つの点に集中させるかのようである。2017年6月30日、いつにも増してその黒い瞳が白く輝いたのは、未だ明けない梅雨の雨のせいでも、野外の特設会場からかすかに仰ぎ見ることのできた星のせいでもなかった。
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ライブは大きく分けて、ももちソロの前半とカントリー・ガールズの後半から構成されていた。
前半のソロ。セットリスト(こちら)としてはBerryz工房楽曲が多くを占めたのだが、やはり純然たる楽曲のもつ力が半端じゃない。それでいて、“ももちの聞いてほしい曲=ファンの聴きたい曲”という図式が常に成立した流れは、さすがDJももちとでもいうべきか。「ベリヲタでよかった」という言葉をまさかこの日に口にするとは思わなかった。Berryz工房は解散していない、正真正銘Berryz工房のスピリットそのものを持っている人が確かにここにいた。ふと空を見上げると、雨の気配も無く、やっぱりそこも正しくBerryz工房。ただ、「ね?言ったでしょ!野外でよかったでしょ?」と机をバンと叩き、今日のことをドヤ顔で振り返ることも無いのだろうと思ってしまい、ちょっぴり寂しさを感じた。
メドレーも圧巻で、あたかも声帯をいくつも持っているかのように、楽曲ごとにクルクルと声色を変化。Berryz工房楽曲→Buono!楽曲のギアチェンジは凄まじく、ギアを変えるというより、エンジンをまるごと、とっ変える感じ(ソロでこれだけ歌っていて呼吸一つ乱れないんだから、やっぱりそもそも積んでるエンジンの数は一つじゃないでしょ!)。しかもその瞬間、表情まで変わるから、気迫のようなものがビビッと空気を伝わってくる。ハロー!プロジェクトの名曲の数多くに参加していた15年間を誇るかの如き、ももちにしか歌い得ないメドレーであった。
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後半はカントリー・ガールズ全員でのパフォーマンスとなった。ここで、自分の中で引っ掛かっていた2年半越しの疑問(というより一種のもどかしさ)が解消された。
2015年1月10日、中野サンプラザで行われた冬のハロコンが嗣永桃子にとって初めてのカントリー・ガールズとしてのパフォーマンスとなった。しかしながら、カントリー・ガールズ自体のステージ活動としては、2014年の大晦日のカウントダウンライブから始まっている。つまり、カントリー・ガールズ始動後の10日間は、ももちはステージで同グループのパフォーマンスに参加しなかったのである。
そもそも過去を遡っても、ハロプロのプレイングマネジャー(PM)のロールモデル足り得る前例がなかったたし、PMの役割が明示的に発表されたわけでも無く、どれだけカントリー・ガールズの活動にコミットするのかは不明であった。ファンの理解では、残り2ヶ月を切ったBerryz工房としての活動に注力するべく、本格的なパフォーマンスへの参加は、Berryz工房活動停止後になるものと考えられていた。
ところが、カントリー・ガールズのメンバー小関舞のインフルエンザによる欠席が公式に発表されると事態は急変した。
PMももちは1月10日、「夕べぇ〜〜〜、夜中に練習してぇ〜〜〜」と文章をわざとらしく区切り、ファンの期待の高まるにつれ大きくなる歓声を楽しみつつ、パフォーマンスの参加を表明。新人グループの危機を救った。
奇しくもこの時は、Berryz工房の面々が自分の目指す進路を力強く表明してゆく中で、ももちは「やっぱりアイドルがやりたい」とハロプロに残ることを既に決めてくれた時期。あくまでも小関舞の欠席を建て前としながらも、あまりに嬉しそうに後輩たちに加わっていく姿は、PMという指導的な立場とはうらはらに、”自分がやりたいからやる”というスタンスを感じさせた。
「フレッシュな新人とももちとのコントラストが新鮮で楽しいの一言に尽きる!急な登板にもかかわらず、さすがの完成度。ももちには、一曲仕上げるくらいなら、カンタンなんだろうね。でもどうして、だったら最初っから参加してくれればよかったのに!」
当時現場におり、その場面に遭遇した筆者は、このように思ったのだ。
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小関舞の欠席が無ければ、ももちはパフォーマンスの参加を、Berryz工房活動停止まで待っただろうか?筆者はそうは思わない。何かしら理由をつけ、カントリー・ガールズのパフォーマンスに加わっていたように思う。
そして振り返ってみると、ももち先輩が後輩を厳しく指導するという下地に乗っかった劇団ももちは別として、ももちは先輩として後輩を実際に指導するシーンをあまり見せてこなかったように思う。
ももちは、隠したがる人だった。後輩たちに与えることが当たり前と、使命感に燃える心のうちがわを、その生来の真面目さと優しさをひた隠しにした。時に”自分がやりたいから”と、飛ぶ鳥を落とす勢いを持った新人達すら霞む自らの強烈なアイドル性の中に、時にひとを傷つけることなくウィットに富んだ笑いというフィクションの中に。
そして、惜しみなく与える人だった。自分が培ってきた経験や財産を後輩に惜しみなく与え、去っていく姿には、最後までプロだったのはいう評価を超越して、noblesse oblige (ノブレス・オブリージュ)という言葉さえ似つかわしい。
ももちイズムを与えられた5人は、最後まで笑顔でステージに立った。危ういところだった船木結のメッセージにも、ももち先輩は「はいっ!」と元気に返事をした。船木結は泣くのをピタッとやめた。
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ももちはラストライブを終え卒業したが、筆者自身正直まだその実感はなく、つぎはいつももちに会えるだろうと自然に考えてしまう(°C-uteに関して同じように感じるのも多分偶然じゃなくて)。区切りがついた実感がないのだ。終演直後、闇に包まれた会場。最初に流れたのは、『がんばっちゃえ!』。ももちのセルフカバーだった。「ホントのようなウソのような」と歌い出したももちが、5479日間にわたって私たちに見せてくれた夢が、あまりにも長く、幸せだったからかもしれない。
楽しい夢って、一番たのしいところですぐ目覚めてしまうし、あっという間に終わってしまう。でもこの15年間は、本当に楽しく長い夢だった。だからせめて、これくらいは言わせてください。
楽しく長い夢をありがとう、ももち。
(*敬称略)
あとがき
ももち先輩がカントリー・ガールズとハロプロに残してくれたものは、私たちの想像する以上に大きいような気がします。自分はまだ、ももちイズムの一部しか見ていないように感じています。「ハロプロはまだまだ続くから、みんなにそこを見て欲しい」。ももち先輩はラストライブに、そんなメッセージを託して去ったような気がします。言われなくても、見るんですけどね笑。最後に一句。
堅い種子 抱きて桃の 熟したる
隠すように、恥ずかしげに、大事そうに・・・・。
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