それぞれの心の中で未来に向けて蠢きだす物語 ~映画『あの頃。』レビュー~

はじめに やって来られて戸惑う “私”

冒頭近く、知人のパチンコ戦利品としてもらった(実際には “パチンコの戦利品” ではなかったらしいですけど)松浦亜弥のMVと思しき映像を見ていて、主人公がツーーーーっと頬に涙を流す場面があります。

いろいろ上手く行かずに落ち込んでいた主人公が(映画の画面的なつながりの上では)そのMVを見終えた次の瞬間、いきなりチャリを走らせてCDショップに飛び込み、そこで得難い仲間たちと出会う切っ掛けをつかんでいく… ってところなんですが、やっぱり、アイドルのMVを観ていて、気がついたら涙を流していたってこと、経験者には、非常に胸に迫る場面じゃないでしょうか。もうね、「わかる!」としか言えないってところで。

“情熱” を意味する Passion、私たちの感覚では “情熱を持って主体的に取り組む” ってイメージが強いので能動的な語感を伴いますけど、英語なんかだと感情動詞は基本的に受身だったりして、それには “激しい感情は、外からやってくる” ってイメージがあるからなんだそうですな。”この私の制御が及ばぬ” ところで、急に “ある感情” に “やってこられてしまって“、私自身は戸惑っているし、どうにもできないで翻弄されている、と。

この映画の冒頭近く、主人公がアイドルのMVを観て、思わず、知らぬ間に、気がついたら泣いていた場面は、いろんなことを物語っていたり、経験者に満腔の共感を与えるだけでなく、アイドルへの情熱というものは、その情熱に取りつかれてしまった者にとってさえ、不可解で、抗えないものであることを語って余りありますよね。

劔樹人 原作 映画『あの頃。』

といったわけで、超著名なハロヲタどころか、一部には名誉ハロメンとまで言われる劔樹人さんの原作が映画化されました。映画化そのものは比較的早くから告知されながら、公開はこの2月。こちら、しっかり鑑賞して参りました。

なんでも、劔さんが大阪に居た頃のハロヲタ活動を描いたビルドゥングスものってことで、なにより若き日の劔さん役として、かの松坂桃李さんがキャスティングされてることで話題にもなりました。

冒頭でも述べましたように、これが実にファンの胸に迫る一編となっておりまして、広い意味でハロプロ関連のエンタメであると解し、レポに及んでいる次第です。

いや、いくらなんでも松坂さんが劔さんだなんて、いくら映画化にあたって、いろいろ脚色しなきゃいけないとはいえ、さすがに無理が… と言われたのは公開前までのこと。部分的に試写会などが始まってみれば、ネットを含むあちこちで「松坂くんが劔さんにしか見えない!役者ってすげえ!」との声が聞こえるようになります。鑑賞を終えた私の所感では、逆に、次にどこかの現場で劔さんに遭遇しても、劔さんが松坂くんにしか見えないのではないか、とすら思えるくらいで、ファッションや髪形以上に、笑った表情の屈託や困っている表情など、そのまんまだったりします。

それは、佇まいや動作、表情などを劔さんに寄せていく演技上のメソッドだけのことではなく、何事かに真っ正面から向き合う姿勢において、プロの役者も気合いの入ったハロヲタも、変わるところはないからだろうとすら思えたりして。

いやいや、いくらなんでも… を続けるなら、いくらなんでも、さすがにハロヲタの実態については写実性を犠牲にして脚色を優先するだろうと公開前には推測されていたところ、実際には、かなり写実的であったし(汚いところも含めて)、ヲタの下衆な部分なんかも、かなり赤裸々に描かれていたりして。(さらには、どこかの現場で見たような、見覚えのある顔が、頻繁にスクリーンに登場したりも)

優先順位のおかしな人たち ~思った以上に写実的~

そう、思った以上に写実的でありました。
ファンイベントなんかの背景でエキストラに実際の “ヲタ” が動員されたこともあって、どこかの現場で見たことあるような人々が、かなり頻繁にスクリーンに登場する… だけではありません。

いろいろおかしなことになっている様子も、思った以上に写実的です。
たとえば、ファンイベントの打ち上げをしようと近場の居酒屋を当たるも座席が空いてなくて仲間の部屋になだれ込む場面、当の部屋の主が(他のファン仲間が打ち上げしようとしてるのに)ゆっくりと入浴していて、仲間から苦言を呈されると「俺の部屋やん」と抗弁したり。たとえば、新しく仲間に入った劔さんへ、持ち主の了解を得ないままに、レアなグッズを進呈しようとしたり。

その他にも、いろいろ、おかしなことになっている様子は様々に描かれます。

仲間の交際相手とルール違反気味な関係になってしまって、そのことを自慢げに吠えていたりといった、下衆な場面も赤裸々だったりしますが、そうしたドラマ性に富んだ起伏のあるエピソードよりも、普通の場面にこそ写実性が光ります。どことなく自分に好意を抱いてくれていると思っていた異性の、その “好意” の質と量を、しっかり見誤る場面など、細かい細かいところでの写実性に身悶えますよね。

さらには、ライブのチケットを落札で入手して、そのチケットの出品主と連番でライブに入る場面。ライブの現場でメンバーカラーのペンライトを振りかざす人物が、普段の日常生活では、それなりの仮面をかぶって、まっとうな社会生活を送っていることもそうなら、そうした一瞬の邂逅で、もし踏み込んでいたら得難い友人や仲間になれたかもしれないのに、むしろ “礼節を尽くす” 意味で、あえて踏み込まず、お互いに気持ちを残しながら、大人の挨拶で(その場限りで)別れていくところなど、特にそんな意図はないんでしょうけど、切ないですよね。

その意味で(部屋が汚いとか、基本的に自分勝手だとか、人間的にどうなのかとすら思える振る舞い…などなどよりも、ずっと)思った以上にこの映画は写実的で、個々に、いろいろ本来あるべき優先順位がおかしくなっている様子が描かれます。

でも、そんな具合に優先順位がおかしくなっているからこそ、あちこちで正しい大人の配慮を残しながら、そうした配慮が必要になる場面そのものが “おかしな優先順位” によってもたらされているからこそ、その些細な描写の一つ一つが感動的です。
率直に、冷静に観ていられませんでした。(それは、半分くらいは “いたたまれない” という意味も含めて|笑)

それぞれの「あの頃。」 ~山﨑夢羽も『恋ING』も~

なかば “いたたまれない” 気持ちを伴いながら、見知らぬファンとチケット連番で現場に入ったり、互いに配慮し合って今一歩踏み込めなかったり、そういった場面は、誰しもヲタ歴の中で経験していることでもあって、スクリーンの中で展開しているドラマとは独立に、心の中で、それぞれの『あの頃。』が起動しちゃいます。

それは、ファン側だけのものではなかったりして、試写会などで観覧したハロプロのOGたちからも、様々な声が出ています。(そのうち、最も直截的だと思った、田中さんの例を下記に)

ファンの方は人生の全てをハロプロに注いでくれていて
「いつもありがとう」って握手会で言われる度こっちがありがとうなのになって思っていたのですが、
そういう気持ちで来てくれてたんだなぁってこの映画を見て知れた気がしてファンの方に会いたくなりました!

田中れいなの おつかれいな♪ #映画あの頃 。

なんかさー
れーな自身の「あの頃」を 思い出せる映画やったなーって!!!!

田中れいなの おつかれいな♪ #映画あの頃 。

松浦亜弥さんの握手会… って場面で、現役メンバーの BEYOOOOONDS、山﨑夢羽さんが松浦さんに扮していることも話題ですが、これも、実際にスクリーンで見てみると、ひっくり返りましたよね。あんまりにも似ていて。

この、夢羽ちゃんが松浦さんにそっくりだった… って、この一事をもってしても、現在の BEYOOOOONDSファンにとっても、往時の松浦さんファンにとっても、それぞれに、それぞれの『あの頃。』が、心の中で起動しちゃってるんじゃないかと思います。アップフロントの協力はそれだけじゃなく、矢口さんのラジオ音源だったり、石川さんの卒業時の映像なんかもあったりして。

映画の劇中、いくつかの場面で実に印象的にハロプロの楽曲が使用されますが、実際には劇中の登場人物たちによって歌われる場面であっても、『恋ING』のイントロが響いてきたときは、ヤバかったですよね。きっと、それぞれの心の中で、自分にとっての『あの頃。』が起動しているから、イントロだけで相当にヤバかったものと思われます。

幾重にも重なる『あの頃。』

そう、松浦さんの全盛期から、ようやく Berryz工房が結成された頃(劇中、懐かしい「しみはむ」という発言が複数)が、この作品が描く時期に該当します。原作者の劔さんら、大阪で活動していたファンたちは、その時代の熱心なファンであったというわけです。

そこから、モーニング娘。は、5期や6期が中心となり、8期にいたるまでのいわゆる “プラチナ期” を経て、9期以降の現在に至るまでの年月を経験しています。ハロプロ全体でも、ベリキューだけでなく、この映画に描かれる時期には影も形もなかったグループが、いくつも結成されては、そしてファンの前から去っていきました。

個々のファンの胸に去来する、それぞれの「あの頃。」って言っても、やっぱりベリキュー前、ハロマゲドン前の、黄金期に居合わせた者こそが、一番にこの映画が刺さるんじゃないの? …と、そう思われる方もいらっしゃるかも知れません。
それでも、最後に近い場面で、松阪くん扮する劔さんが、ある人物に向けて、30歳を迎えた道重さゆみさんの話題に触れるシーンがあります。ネタバレになりかねないので詳細は避けますが、この、ラストに近い場面で、現在のハロプロが触れられるシーンこそ、それぞれの心の中で起動してしまった『あの頃。』が収斂するフックを提供していたんじゃないかなと思います。今のハロプロを想起させることで。

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劔さんの著書、『僕らの輝き ハロヲタ人生賛歌』のラストには描き下ろしでその後を描いた『そして、恋愛研究会。は』が収録されています。

映画の撮影中、あたかもハロプロのライブで遠征するかのように勇んで撮影現場にやってきていた「恋愛研究会。」のメンバーのことなど、いくつかの後日談が語られます。

きっと、この『あの頃。』は、それこそ現在進行形で続いていて、何年後かに改めて別の「あの頃」として思い出されるんでしょうね。そんな「あの頃」を、今、自分は歩んでいる途中なんだってことまで知らされて、そりゃ感動的じゃないわけないよねって。

(文=kogonil)

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