須藤茉麻 出演舞台 『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』レポ ~歩み始めたあなたの道にエールを~

さー困った。

活動停止中のBerryz工房メンバーである須藤茉麻さんの出演舞台『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』が、北千住のシアター1010にて、2015年8月5日から9日まで上演されていました。
何が困ったって、このお芝居を観に行ってきたんですけども、そのレポを書こうとして困っています。

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なにを困っているかといえば、万が一、今後再演されるお芝居を観に行くつもりだったり、後日発売されるDVDを購入するつもりの人がやってくるかもしれないから、ネタバレはNGであること。
お芝居の筋立てに言及しないで舞台のレポをするのは、どーしたもんか困っております。

それでも、次のひとことが書きたいから、がんばってレポの体裁で、なるべくハロプロに引きつけるよう、呻吟してみましょう。

Berryz工房の茉麻が好きで、だから茉麻のお芝居もずっと観に行っていたんですけど、改めて、女優須藤茉麻のファンになりました。
Berryz工房の活動停止以来、それぞれのメンバーの活動は、ファンに向けて公開される限りで、可能な限り追っかけようと思っていました。ですので、茉麻のお芝居は、こぶしメンバーと池袋のシアターグリーンで上演された『Week End Survivor』も、モーニング他のメンバーとサンシャイン劇場で上演された『TRIANGLE -トライアングル-』も、客席から茉麻に逢いに行ってきました。
それぞれエンタメアライブにレポを投稿させていただいたように(こちらとかこちら)そんな動機で出掛けたお芝居は、いずれもすばらしく、十分に心を揺さぶられて帰ってきたわけですが、やっぱり、基本はBerryz工房の須藤茉麻に逢いたくて私は足を運んだわけです。
先に参加した茉麻のファンクラブお誕生日イベントでは、お芝居の役柄の茉麻ではなく、あの頃と変わらぬ茉麻に再会できた喜びを投稿させていただいています(こちら)。
そして今般の『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』も、茉麻に逢うために、私は劇場に向いました。

しかしながら、これは、非常に、非常に、失礼な態度であったのかも知れないと思い始めています。さーて、ますます困った
それほど、女優としての茉麻が、私たちの知っているあの茉麻ではない茉麻の舞台が、すばらしかったから。

舞台女優 須藤茉麻

今般の舞台は、茉麻が、ハロプロの傘の下から歩み出て初めてとなる外部のお仕事です。
いろんな意味で大丈夫か?と思わないではなかったというのが本当のところです。

それぞれ舞台でキャリアを重ねてきた本職の舞台俳優に混じって、果たして茉麻は、ちゃんと共演者さんたちに呆れられたりせずに、しっかり舞台をつとめられるのだろうか、と。
あるいは逆に、長年ガチのステージで、ある意味厳しいヲタの審美眼に耐えて、歌とダンスを鍛えに鍛えた我らがハロメンに、そこらのタレントが、まともに太刀打ちできるとでも思っているのか、と。

これ、どちらの懸念も、どちらに対しても(須藤茉麻さんに対しても、共演者さんたちに対しても)非常に失礼な懸念でありました。こんな失礼なことは、思っていたとしてもレポに書くべきではないと思いますが、どちらの懸念も、舞台そのものによってひっくりかえされたことを報告するために、あえて書いた次第です。投稿者が一番バカでした。

この舞台『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』は、数年前から連続で上演されている大きなサーガの一部となる物語。
舞台は戦国前夜。白い肌と赤い眼をした白狐丸(アルビノであると劇中で説明あり)が「鬼」として忌み嫌われ、「鬼狩り」たちと、あるいは戦い、あるいは逃れてゆく先で、ひとりの遊女と出会うエピソードです。
茉麻は、白狐丸と出会う遊女の、同僚たちの筆頭格の遊女として、そしてエピソードの終局に向けて重要なキーとなる展開を促す大事な役どころ。

舞台は、その白狐丸と遊女の出会いを描く場面と、謎の盲目の男が、これまた謎の男に乞われるままに(どちらの謎も劇中で明かされます)、その白狐丸と遊女の ”かつて在りし日の顛末” を昔語りに語る場面が、縦横に切り替わりながら演じられます。
こうした時間軸を前後して、行きつ戻りつ語られる脚本も見事です(時間軸を行きつ戻りつ語られる物語はラストで興奮のカタルシスを迎えます)し、舞台のほぼ全編にわたって展開される殺陣の迫力がすさまじく、とにかく演者たちの腰が低く(投稿者は格闘技の経験がありまして、腰を低く落として移動する際の筋肉の負担については、慣れるまではどんだけしんどいか知ってたり)足運びが早く、呼吸も見事で、すばらしい身体表現でありました。
これはDVDなどの液晶越しではなく、呼吸が感じられる生の現場でこそ鑑賞すべきと強く思います。まことに迫力の舞台でありました。

また、こうした殺陣を演じる俳優たちが、そろいもそろって渋みの効いたイケメンであって、演劇女子部という形で舞台上の配役から男性を排除したアップフロントの判断が改めて腑に落ちる通り、開演早々は「くっそー、こんなイケメンがそろってるところで茉麻はお仕事をするのか」という謎の嫉妬に駆られ、イケメンたちの演技を「ん?ちょっと滑舌悪くねえか?」とか必要以上に厳しめの目線であら探しを始めてしまった投稿者でしたけれども、開演10分もしないうちに、そんなあたりの事柄をすっかり忘れて見入ってしまっていたほど、それほどテンポも速い、大迫力の殺陣でありました。しかも、それがほぼ舞台中の大部分を占めるという、バトルに明け暮れる展開です。…すばらしかった。

そんな中で、茉麻のお芝居も大きな光を放っていました
物語の場面転換のブリッジに、遊女役のみなさんがそろってダンスを見せてくれる場面(複数)でも、さすがに茉麻は指先の嫋やかさまでが表現される艶やかさ
滑舌もしっかりしてましたし、遊女風のお腹の前側で腰帯を結ぶ着物姿でも、すーっと背筋が伸びており、ルックスのパーツの主張が強いことも相俟って、(これは贔屓目かもしれないですけど)他の遊女役のみなさんよりも、明らかに頭ひとつ目立っていました。

実は、個々のシーンごとに、茉麻のお芝居の細部について、レポしたいところが多々あるのですが、すばらしかった茉麻のお芝居のあれこれについて、どうすばらしかったかを説明するには、そのお芝居の脈絡をある程度記述しなくてはいけなくて、このお芝居の場合は、がっつりネタバレにつながってしまうので、こう書くより他、私には術がありません。
須藤茉麻は、はっきり女優として、舞台の上でも、大きな存在感を示していました、と。

握手会についてのコメント

カーテンコールの後は、会場内でハイタッチ会がありました。
加えて、劇場でグッズを一定金額以上購入したら参加できる握手会もありました。

劇場に足を運ぶ前の段階では、当然、茉麻との握手を狙っていったわけですし、実際に茉麻と握手もしてきました。そして、上述の通り全出演者とのハイタッチも済ませて…それで、投稿者は思うところがあります。

数年前まで在宅だった私は(勤務先の関係で遠いところに赴任していたという理由もあるけれど)、ライブはまだしも、握手会に典型的な接触系のイベントには否定的な見解を持っていました。というのも、あまりにもメンバーの負担が重すぎるという理由によるものです。今でも、メンバーの負担が重いという点は大きな懸念だと思っているものの、それでも、止むにやまれず参加してきたいくつかの(あるいは短期間に極端に頻繁な)接触系のイベントを経験してみて、握手会とは良い物だと思うに至っています。
それは、ファンの側からのアクションに、メンバーが一生懸命、誠実に、真面目に応えようとしてくれているのがわかるから。そうしたメンバーの示してくれる様子に迂闊にも感動してしまって、ああ、握手会というものは良い物だと思うに至ったという次第です。

それが今般、須藤茉麻出演の舞台『刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ』に接して、茉麻を観に行ったはずのお芝居そのものの脚本や演者たちの身体表現に驚かされて、そして、茉麻との握手だけを狙っていたところが全演者とのハイタッチ会に参加して、握手会の意義にはそれ以上のものがあるのではないかと考えています。

繰り返しになりますが、今般の舞台、そろいもそろったイケメン俳優たちの殺陣の迫力がすさまじかった。腰を落として低い位置で刀や槍を振り回しながら、少ない歩数で長いストロークを移動する身体所作に驚き、そして須藤茉麻の背筋の通った佇まいと、指先の嫋やかさまで目に見える表現にあらためて目を見張りました。
こうした「舞台のすばらしさ」を堪能して、その堪能を与えてくれた演者たち一人一人に、「すばらしかったです」と声をかける機会を与えてくれることは、とても大切なことなのではないかと。

TwitterのTLに流れてきたどこかのヲタのつぶやき(詳細は失念)に、こういったものがありました。曰く、推しているタレントのブログには必ずコメントをつけるのだ、と。当のタレントが読むかどうかは関係ないし、タレントに認知されることが目的でもない、と。そうではなく、たとえコメントの内容が読まれなかったとしても、ブログのコメント数として数字がひとつカウントされるだけでも、それはそのタレントの人気の指標になるからだ、と。
内容が読まれなくとも、応援していることが形でわかることが大事だし、それが数字として人気の指標になるからには、コメント数が、どこかで見ているであろうエンタメのプロデューサーにとって、そのタレントを起用する決め手になるかもしれない。だから、たとえ数字のひとつに過ぎないとしても、欠かさずコメントするのだと。(趣旨)

それでなくともライブや舞台を終えたばかりで疲れているメンバーの負担になるかもしれないというのはその通りであっても、ハイタッチ会や握手会で、直接目の前のメンバーに向って、たった今、自分を含めた客席に向けて演じられたライブや舞台のことを「すばらしかった」と伝えることが可能であるということは、演者であるメンバーにとっても、そして今まさに感動を受け取った私たちファンにとっても大きな意義があるように思います。

表現者としての技と心に対して、素直にその観客としてリスペクトを表明することは、よしんばそのリスペクトが表現者へ届いていないとしても、ファンとして、観客としての自分に、大きな良い影響があることは、このエンタメアライブへの投稿を通じて、日々、私自身が実感しているところですが、それが正に当の演者に届くのですから。

事実、ハイタッチ会においては、多くの演者が額に汗をにじませ息も荒くなっているような状態でしたが、ハイタッチとともに「すばらしかった」と声をかけるや、どの演者も、一瞬、ぱあっと表情を明るくしてくれましたから。

などと、そう思うほど、舞台の生の身体表現がすばらしく、その中にあって、須藤茉麻が十分な光を放っていたことが印象的だったという次第です。

一人で道を歩き始めた彼女たちと、後輩たちと

上記に、Berryz工房の茉麻に逢いたくて舞台に足を運ぶのは、演技に真剣に取り組んでいる須藤茉麻さんに対して、もしかしたら失礼なのではないか、と書きました。
同じように、Berryz工房のテイストをまとってくれる茉麻に、「やっぱり茉麻は茉麻だった」と喜ぶこともまた、ひとつの区切りを越えて、自分の道を歩み始めた一人の芸能人に対しては、失礼なのかもしれないと思い始めています。

他方で、その茉麻に逢いに行ったつもりの舞台『TRIANGLE -トライアングル-』においては、私は次のような感想を持ってもいます。
自分の書いたことを引用するのもなんですが、下記。

モーニングで、ハロプロで、ステージの上でガチで歌とダンスを鍛え上げる年月を重ね、体力も舞台の緩急も、共演者との呼吸も身につけた上で、ミュージカルやお芝居を経験していった彼女たちが、やがてモーニングやハロプロを去って後、どのような表現者として私たちの前に現われてくれることか。
鞘師ちゃんのストイックさと哀愁を帯びた背中が、石田さんの意図せず漏れ出す愛らしさと素直な弾むような心が、小田ちゃんのどこか憂いを帯びた落ち着きと表現力が、この先(よしんばモーニング娘。を卒業しても)、どんなすばらしいものを私たちに見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。

今、須藤茉麻さんは、舞台女優として確かな存在感を示しつつあります。
上に述べたことで(それでもネタバレを回避するため、最小限のものではありますが)明らかなように、本職の舞台俳優たちに混じって、いっこも見劣りすることなく、堂々とした迫力の舞台を勤めています。

握手会などについて諸々ぶっちゃけたついでに、もうひとつぶっちゃけますと、℃-ute が、どこまでも ℃-ute として走り続け、そのパフォーマンスを磨きに磨き続ける一方で、Berryz工房はどこかで自分たちに区切りをつけちゃったんだな、という寂しさを私は抱え込んでいました。
しかし、上に引用したことから、そうした私の寂しさとは裏腹に、そうした寂しさに帰結する「Berryzは区切りをつけてしまった」という印象とは真逆に、Berryz工房こそ、後輩たちの前に、アイドルを越えてなお先に続く芸能の道を、その背中で語ってくれているのかもしれません。
走り続ける℃-ute とはまた別の形で、後に続く後輩たちのための道を切り開いてくれているのかもしれません。明らかに本人たちが自覚しながら。

*****

いや、そんなに固く考える必要もないだろうに。舞台女優としての茉麻は、それはそれで演技をしっかり鑑賞すれば良いし、あのコミカルな雰囲気をまとってくれたときには、それはそれで喜んで楽しめば良いだろうに。なにを「失礼」だとか面倒臭いことを言ってるのか。

…と呆れられる方もいらっしゃるかもしれません。
その通りですね。その場その場で、ファンとして楽しめば良いと、そう思います。

でも、上に書いたようなことを考え込んでしまうくらい、須藤茉麻の舞台はすばらしかったということだと、そのようにご理解いただければ幸いです。
以上を要するに、デカめのフォントで大きく示したいくらい、茉麻の舞台はすばらしかったです。
ほんとに。

(文=kogonil)

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