元℃-ute 中島早貴、留学を終え帰国か タレント活動の行方は?

2021年の末から留学していた元℃-ute の中島早貴が、留学を終えたようだ。

中島の留学の日々を伝えてきたYouTubeチャンネル、その2025年3月24日更新分の動画では、飛行機に乗ってニュージーランドを離れたようだが、しかし、それが留学の正式な終了を意味するのか、あるいは日本へ帰国したのか、明確な言及はない。ただし、動画のコメント欄には、多くのファンから “おかえりなさい” とのコメントがあふれている。

そう、ファンは長らくこの時を待ち望んでいた。
留学前、最後に元℃-ute のメンバーとして参加したイベントにおいても、さらには留学先から発信していた配信チャンネルの動画内でも、中島は「戻ってからファンの皆さんにご挨拶する機会を設けたい」という趣旨の発言を繰り返していた。それを受けて、ファンは、中島の復帰イベントを期待している。

中島早貴は、2002年の「ハロー!プロジェクト・キッズ オーディション」に合格し、ハロプロキッズの一員として活躍を開始したメンバーである。同じハロプロキッズの中でも、なかなか馴染めず苦労した時期もあったようで、レッスンに向かう際には “みんなに分けてあげるように” と親から飴を持たされていたという。また、バス移動中にカーブの衝撃でたまたま開いていたドアから落ちてしまった際、手に持っていたアイスモナカがクッションとなり、大事に至らなかったというエピソードもある。これらのエピソードは、長年のファンですら “可愛らしい” と形容して良いのか迷うようなもので、中島早貴の立ち位置の独特さを物語るものであった。

℃-ute の結成後も、そして℃-ute が “アイドルが憧れるアイドル” として業界の先頭を駆け抜けていた時期ですらも、中島はグループ内の潤滑油としての役割を担っていた。まるで “苦労の多い中間管理職” のような立場で、強烈な個性を持つメンバー同士の関係を円滑にする存在だった。あれほどの美しい心と博愛精神で知られるリーダー矢島舞美ですら、中島に対してはケーキをぶつけたり、どんぶりをぶちまけたり、ワサビを食べさせたりと、中島は受難な日々を送っていたが、それもこれも、中島が周囲に愛されるキャラクターであった証拠といえよう。

一方で、彼女のダンススキルはハロプロ史上屈指と評され、引退したBerryz工房のキャプテン清水佐紀と並び称されるほどであった。その正中線のブレなさは、バックステージ映像で楽屋で遊んでいる姿からも明らかであり、ダンスへの高い技術と姿勢が垣間見えた。さらに、留学前の一時期には実家の農園で “野菜ソムリエ中島さん” としての活動も行っていたが、その際も彼女の安定した体幹を活かした農作業ぶりが話題になったほどである。

そして、そんな中島が、ついに留学を終えた。

今後、日本に戻ってタレント活動を再開するのかどうかは明言されていない。しかし、多くのファンは彼女の帰国を確信し、その復帰を心待ちにしていることは間違いない。

(文=椿道茂高)

そして、これは握手会とは関係ないけれども。

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