強さが滲んだ「もっともっと知りたくて 北川莉央」
千夜一夜イベントがストリーム配信になってから、MCを務める事務所のエライ方が画面に登場しなくなってしまって、代わりに、毎回、微妙な似顔絵のイラストが(イベント開始前に)表示されます。このMCのイラストは毎回の登壇者(今回については北川莉央さん)の直筆なんだとかで、第二部「もっと知りたくて」の前口上のタイミングで「かなり適当ですよね」とMC氏が愚痴ったところ、登場してきた北川さんが「適当じゃなくて、ちゃんと西口さんを思い浮かべて描きました」と抗弁する場面がありました。
その “抗弁” の様子が、DVDマガジンでの様子(利き水の特技を「北川からもらっちゃおう」などと言ってる先輩に、直接「やめてくださいよ」と笑いながら突っ込んでいた様子)などとも酷似していて、なんだか、とってもナチュラルに “強い” 北川さんです。
北川さんは、前ページにある「50の質問」でも軽く触れていましたけども、ずっと甘やかされて育ったんだそうです。お母さんは厳しかったけれど、学校では、提出物をバックレていても叱られず、部活のスケジュールなどもかなり自由が許されていたみたいで、そうした自身の状況を指して「ずっと甘やかされてきた」とおっしゃいます。
事務所のエライ方にも、先輩たちにも、普通に笑いながら突っ込める様子だけでなく、ハロプロのオーディションに出会うまでにも、ずっとオーディションに応募してきて心折れなかったことや、以下に報告する幼少期の北川さんの様子なんかを見ていて思うに、それって、実は本当に「甘やかされてきた」わけじゃないのではないかと。Dマガや千夜一夜の配信なんかで垣間見せるような “強さ” があるからこそ、周りの北川さんに対する接し方も違っていて、それを北川さんが(ある意味で誤解して)「甘やかされてきた」と認識しているのではないかと、そう私は思ったります。
下記にも報告するように、中学生生活を「人生楽しい!!最高!!」と言う北川さんです。それは、小さい頃から中学生の生活を思い描いていて、その幼き日に思ったその通りに毎日を送れていて、だから中学時代は本当に毎日楽しいと思って生活していて、今から回想しても当時は楽しかったと思えるのだとか。
…と、そういった半生の振り返りを語ってくれて、そんな語りを踏まえて、今現在の自分について北川さんがこう(↓)言うのを聴くに、その根底にある自己肯定感の強さに驚かされる次第です。
曰く、「現在、人生謳歌中!!!」って。
ハロプロに惹かれる理由として、なりたい自分に真っすぐ向かう志の素直さと、自分と周囲を信じる真摯さを挙げたことがあります(千夜一夜イベントの小野田さんレポ、および、秋山さんレポ)。いま改めて、北川莉央さんが語ってくれる半生から、その圧巻の自己肯定感を感じて、やっぱり強く惹かれますよね。
自分がどうしてハロプロにかくも惹かれるのか、その秘密が解けていくようでもありますが、そんな具合に、メンバーの内面にも迫れる稀有なイベントがハロショ千夜一夜ってことで。というわけで、報告者の所感はいい加減に切り上げて、下記、イベントの詳細をば。
…と言いつつ、最後に。
幼少の頃からのお写真をずっと拝見していて思うに、北川さんって年齢を重ねる毎に美しくなっているので、この先、どこまで美しくなるか超楽しみですな。
(文=kogonil)
北川莉央 年表 |
2004年3月16日 北川莉央 誕生
|
- 西口「2000年とか1999年で “え~~っ!” って印象があったもんですが、2004年ですか… まあ、良いですかね」と最後まで言わず、つい最近産まれたってことへの感慨を飲み込んだり
- 胎児の時の写真が当時の横綱の曙太郎に似ていたらしい。
- 西口「元気なお子さんだったってこと?」
母曰く「心配になった」と
- 名前を「莉央」か「茉央(まお)」かで迷っていた。
- 祖父が姓名判断ができるので聞いたところ、「莉央」だとアイドル、「茉央」だと女社長だと言われ、母は「まお」を希望したが「アイドルのように皆に愛されて育ってほしい」という意見に押され、「莉央」になった。
- 結果アイドルになったことについて… って、そのタイミングでは件の祖父は鬼籍に入っていたとのこと(残念)
- 西口「どっちもすげぇ、ってことじゃん!」
|
2007年 3歳
|
- 幼稚園受験
1校目、受験直前に体調を崩して、当日は朝からぐずっていた。
- あんまり記憶はないけど、面談のときに「お母さまの造った中で好きな料理は?」って “あるある” 質問に「ビーフシチュー」って答えていたのが鉄板で母から教え込まれていた(応じた追加の質問に母親が答えねばならないから)。
- 面接官が「お母さま」と言ってることに注目する西口氏
- 園長先生との面接の時に、机に足を乗っけて「もう帰る!」と言ったらしい… 見事に落ちた。
別の幼稚園を受験して、無事合格。
- ケラケラ笑ってる北川さん
その受験時のお写真など披露 ご両親の顔の消し方がホラー映画のよう
- この頃から少し変わった子で、突然駐車場で倒れこんだりしていて心配した母に向かって「眠たくなっちゃった…」と言っていた。
- 特に自覚もなく、何なら最近まで自分は普通の人だと思っていた。
- 駐車場で倒れ込んでいる写真(笑)地べたにおでこをくっつけている
|
2010年 6歳
|
- 西口「2010年… つい、このあいだ、であります」
- 学校の出し物で、たぬきについて研究した。この頃から目立つことが好きで、「セリフをたくさんもらいたい!」と言っていた。
- その「学校の出し物」についての説明の後、自分にとっての一番最初の記憶について語る。
この辺りから記憶があって、けっこうクラスでも話す方だった。
- 西口「1年かけて調べるってことなら、相当、詳しく調べられるんでは?」
北川「ぽんぽこってのは、お腹を叩いてるんじゃなくて、あれは鳴き声なんですよ」
- 発表会のお写真
西口「顔の消し方が雑だなあ!」
- 動物園に行った際、孔雀に目を突かれそうに、これ以来、孔雀恐怖症となった。
- ベンチで休んでいたら孔雀が昇って来て攻撃されそうになったけど、後ろにいた母が守ってくれた。
- 鳥全般が怖いってわけじゃないけど、やっぱり動物は苦手。
産まれる前から家で飼っていた犬が、ライバル視して、敵対していたことも影響して、わりと動物は苦手。
- 自称 大天使時代
- アルバムや母の前の携帯の写真などからご紹介
なくなった以前の母の携帯の写真の方が可愛いけれどもと。
|
2011年 7歳
|
- アイドルにハマり始める。
友達と、学校の教壇で「LOVEマシーン」や AKB48 さんを踊っていた。
- 好きなアイドルが出来たのは小学1年生くらい
|
2013年 9歳
|
- キッザニアという職業体験ができるアミューズメントパークで、モデルの職業体験をしたとき、この頃から「アイドルになってみたい、芸能人になってみたい」という夢を持つようになった。
- 西口氏、キッザニアの説明を。
- モデルの職業体験は、ほんとにランウェイを歩くらしい。
その時の写真を披露
|
2014年 10歳
|
- ピアノの発表会
オーロラのバレエ曲を披露したため、バレエシューズを衣装に選んだ。母が発表会のドレスにすごく力を入れてくれていた。
- ピアノは3歳くらいから(その頃の写真は母の携帯にあったので失われている)
- ピアノの他、英語教室と水泳も。年齢的にはこれ以降だけど、フルートとゴルフも。普通の塾にも通ってました。
- その発表会のドレスの写真、ピアノ演奏の写真など
- 今ではピアノを弾けなくなりました。以降のフルートもそうなんだけど、楽譜が読めなくて…
- ゴルフを始める。
ピンクが大好きだったため、キャディーバックも全てピンクで揃えていた。
- ゴルフ練習場の写真やキャリーバックの写真と、「お嬢疑惑」
西口「どう考えても普通のご家庭ではない」
- 小4から中1くらいまで習っていたが、それ以降は、旅行にいった先でゴルフに興じるなど
- 旅行にたくさん行き始める。
西口「いよいよ言い訳できなくなってきておりますが」 いくつかの旅行先での写真が(テニスや乗馬体験など)
|
2015年 11歳
|
- フルートを本格的に開始。
学校の音楽会などでも披露するようになる。
- 第一部でも話題になったように、家にフルートがあったし、ソロフェスでも披露した。
- フルート演奏準備の写真(一緒に写ってるお友達のフルート演奏にあこがれてフルートを始めた)
- 発表会では、ピアノとフルート、両方で出演していた。
- その頃の写真「この頃からちょっとマルくなって来ちゃって…」
- この頃、友達の影響で「少女時代」さんにハマって、ライブにも言ってました。
- 学校では変わらず目立つことが大好きだった。運動会のラジオ体操を皆の前で代表で踊ったり、学校全体の音楽祭で司会を務めたりした。
- 朝礼台でお手本の体操ができるオーディションがあった。運動会の写真などいくつか
- どうしてアイドル目指してたのにダンスとか習ってなかったのか?という疑問に、実はダンスは上手いと自分では思っていた。
- 友達をデッサンするという図工の授業で学校の中から選ばれ、東京都の写真展に飾られた。
- 描いたデッサンと一緒に写った写真など
|
2016年 12歳
|
- 中学校に入学
- 「アイドルになりたい」という夢を本格的に追いかけるようになった。
特にきっかけがあったわけじゃなく、学校の先生の問いかけなどに応じる形で気持ちを強くしていった。 学校が芸能活動禁止だったので両親に反対されており、内緒で受けていた(西口「内緒でやり切れるもんじゃないでしょ」)
- 始めてオーディションに応募。
ハロプロじゃなく、近所のスクールの特待生のオーディションだった。
- その応募の際の写真など
落選という結果については納得していた。その振り返りなどは自分の「夢ノート」に記して分析していた。
- 学校では憧れの吹奏楽部に入部。フルートを頑張った。
小学生の頃は(希望制で6年生から埋まっていくから)一回も吹奏楽部に入れなかったエピソードや、フルート演奏の写真披露など
|
2017年~2018年 13歳~14歳
|
- 人生楽しい!!最高!!の時期
ちっちゃい頃の「ごっこ遊び」で14歳くらいのロールプレイをやっていたので、実際にその年齢になって、なんでも楽しかった。
- ほんとに、激甘に甘やかされていた。
- 文化祭の打ち上げや、部活の打ち上げなど、憧れていた中学校生活を謳歌。
- この頃もオーディションは受けていたけど落ちていた。
西口「落選続きだと自分に自信がなくなったりしないの?」 北川「もともと受かるつもりもなくて受けてたから。最終審査まで進んで落ちたのは泣いたけど」
|
2019年 15歳
|
- モーニング娘。’19 LOVEオーディションに応募。
- 通っていたピアノの先生に進められ、受けるか迷っていたところ、オーディションの宣伝トラックが乗っていたバスの横に止まり、「これは運命だ!」と思い、応募することを決めた。
- 高校生になってもオーディションを受け続けるか、普通の落ち着いた人生にするか、迷っていた。
- ハロプロのオーディションは初めてだった。
その際の応募写真などを披露
- 書類が通って面接って時に、すごい人がいることに驚いた。学年別で区分けされていて、めっちゃ楽しかったことと、可愛い子が多かったことを覚えている。
審査が進んで人が減っていくことについて、周囲の子がしっかり練習しているのに気後れしていた。 最終審査のご案内が届くときに用事で家に居れず、ああご縁がないんだなって覚悟したけれど、最終審査へ参加できることになって、嬉しかった。
- 両親は、人生経験としてオーディションへの参加は了解してくれていたけど、合否に関わらず、結果としてアイドルとなることは認めてくれていなかった。
- 学校の中間試験の勉強もしないで合宿審査のダンス課題に取り組んでいた。結果、中間試験は悲惨だったので、モーニングに受からなければ人生終わったと思っていたら、(祖母が訪問するって聞かされていたところで)綺麗なお姉さん(譜久村聖)とカメラが訪問してきて驚きました。
- 外から見てる世界と、なってみての世界は…
もっと楽な世界だと思っていたけど、こんな凄い世界だとは思ってなかった。思ってたのと100倍大変でした。
|
2022年 17歳
|
|
Sorry, the comment form is closed at this time.