やっぱりこの作文は外せない
もっともっと知りたくて~松永里愛~
なぜか登場曲がモーニングであることについては問わないとしても、やっぱり、こちら(↓)の横浜アリーナ公演を、10歳の頃に将来の「憧れのステージ」として予言していたという作文は外せませんよね。
ちゃんと自分のブログにも掲載していた松永さんですが、実際の千夜一夜での、事務所のエライ人とのやり取りでは “自分ではすっかり忘れていて、直前になってお父さんから示唆されて思い出した” んだとか。他にも捨て猫だったビビちゃんを獣医師さんに連れて行ったことなども含め、明確に語られることは少なかったけれど、松永家の雰囲気も、いろいろと感じられるところです。
10歳の私の夢が叶う日なんです
これを書いたときはまだハロプロ研修生にもなっていなかったですね〜
Juice=Juice Official Blog 夢が叶う日 松永里愛
この重大な10歳の頃の作文(↑)については、実際の千夜一夜配信でも画面に表示されて、内容を事務所のエライ人が読み上げるという場面もあったので、下記の松永里愛年表中にも引用しておきますね。
さて、シンデレラタイムを踏み越えられないからか、大きなまとまりで、足早に進行した松永里愛年表ですけれども、それでもやっぱり、十分な聴き応えがあった里愛さんの半生です。大きなところでは上にも述べた10歳の頃の夢の作文が外せませんが(あまり長くならぬよう)その他に印象的だったところを一点だけ。
わたくし、ずっと松永里愛さんには、繰り返しになりますが、どこか余裕をもってステージをこなしているような “大物感” があるって思っていたんですね。半生の振り返りの中でも、「人見知りしない」だとか「学校全員友達」だとか「なんとかなるっしょ!」だとか、大物感を裏付けるような発言も拾うことはできるんですけど… それでも、やっぱり複雑に思い悩んでいたところが伝えられたのは、千夜一夜イベントならではってところかと。
楽しい嬉しいってばっかりで歌ってダンスしていたけれど、実際にプロの現場に入ると、その厳しい競争と緊張感が怖かった…とか。井上さんが加入してきたことは嬉しかったけれど、歌割的なところの配分やなんかで、けっこう心が難しかった…といった発言だったり。
いやまあ、例によって、あんまり長々と報告者の印象を述べるのもレポートの本意ではないので、早々に実際の “松永里愛 年表” へと進みますけれども。
終わりに、この日の千夜一夜を終えて引き揚げる際の松永さんのセリフを引用。
「最期に、よく寝て、よく食べてください!」って。
ということで、以下、松永さんの千夜一夜第二部の様子を記述しますが、必要になってくると思うので、実際の千夜一夜では口頭でのみ言及されただけの補足的な年表(オーデと実力診断テスト)を入れ込んでおきますね。それでは。
2015年 | 『2015アンジュルム新メンバーオーディション』 |
2016年 | 『モーニング娘。’16 『新世紀』オーディション』 |
2017 公開実力診断テスト | 『SONGS』(モーニング娘。) |
2018 公開実力診断テスト | 『FIRST KISS』(あぁ!) |
2019 公開実力診断テスト | 『ガタメキラ』(太陽とシスコムーン) ベストパフォーマンス賞 |
(文=kogonil)
松永里愛 年表 |
2005年7月7日 松永里愛 誕生 |
- 松永里愛誕生
- 予定より1週間早く産まれる
- 私が母のお腹の中にいるときに 母が見た夢の中に出てきた女の子の名前が「りあい」だったので、そのまま名前にした
お母さんに聞いたところ(「私の記憶が間違ってなければ」)幼稚園の制服を着た女の子が雨の中に立ってたらしい
- 松永「雨女なんですよ、わたし、今日も雨降ってますし♪」
西口「ハローには雨女の大先輩がいますけどね」
- 産まれたばかりの写真 つぶらな瞳でまっすぐカメラを
- 松永「あんまり泣かなかったし、動画を見てると、けっこう静かでした」
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赤ちゃんの頃 |
- 8カ月で歩き始めた
- すぐに言葉を話しだし、単語を喋り出す頃に文で話していた
西口「全体的に早熟だったのかな?」 母のお腹の中に居た頃の記憶があるんです! 雲の上にいて、子供たちが列になって親を選んだ 私は列を抜かして、この人!って母を選んだんです♪
- あまり泣かず、手のかからない子だったが 成長していくにつれお転婆になっていき、歩行器で暴走していた
- 暴走の頃の写真 眉をしかめてる赤ちゃん里愛さん
- 暴走していた動画もあったらしいけど、PCが壊れたのでデータが飛んでる
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幼稚園の頃
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- この頃からアイドルになりたいと言い出す
- 毎日楽しかったし踊るのが好きだった記憶はある模様
テレビを見ていてアイドルになりたいと言い出したらしい
- お遊戯会で当時流行っていたアイドルの曲に合わせてダンスをしていたら 先生に「ステージに立つ仕事をした方が良い」と言われる
松永「母が言われたらしいです♪」
- お遊戯会で友達に悪戯をしたら、先生に怒られて悪戯は良くないんだと実感する
- どんな悪戯かは覚えてる
お化け屋敷で暗闇で手を引っ張って驚かせる演出に、その手を引っ張り返したりしていたとのこと
- お遊戯会で楽器を演奏
和太鼓だったけど、躓いてコケて鼻血出してたのを今思い出した 恥ずかしかったのを今思い出しましたと松永さん、総じて、西口氏と会話しながら「今、思い出しました」多めで(笑)
- お昼休憩後の片付けが苦手だった
- この頃から朝が苦手だった
- 朝は「母に引きずり起こしてもらって」いたし、片付けの際は皆が掃除している中を帽子を振り回して駆けまわったり家族ごっこしたりで逃避行動
- 幼稚園の頃の写真 妹と一緒に
- 西口「2008年とか2009年とかなんでしょ?ひえ~~~」
- お弁当の苦手なもの、食べれませんアピールで、めっちゃ叱られたことを今思い出しました
その時はトマトが苦手でしたね
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小学校 低学年
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- 歌が本当に下手だった
- 家族でカラオケに行くんですけど、みんなに「へたくそ~♪」って笑われた
上手かどうかよりも楽しいかどうかが大事だったので、みんなに下手くそって言われても「♪そんなこと言わないでよ」って笑ってました
- けっこう海外の楽曲を聴いてました(KARA、少女時代など K-POP)
- 母の歌が上手で、母が歌ってるのを聞いてるのが好きでした
- 運動が好きでスポーツも得意だった
サッカーでキーパーをやってました シャトルランが得意で、男子に交じって残っていた
- 英語の時間の「Apple」がツボだった
発声のタイミングを取る「チッチッチ」っていう秒読みまで含めて英語だと思っていた 「英語でリンゴってチッチッチアポォ!って言うんだよ」と母に報告していた
- 植物を観察して絵を描くときに自分は絵が上手くはないと気づく
隣の子の、最初にラフに全体を捉える描き方を真似してみたけど、それでもダメだったので、上手くはないんだと
- 髪の毛がすごく長かったので貞子の物真似をよくしていた
隣のクラスへも貞子の物真似をしていた
- 全然人見知りをしなかったので公園に遊びに行った時も知らない子に話しかけて友達になっていた
急に雨が降ってきて雷も鳴って、その雨宿り中に友達を作ったエピソードを披露する松永さん
- 低学年の頃の写真 1枚目
西口「もう、なんだったら昨日撮ったと言っても良い写真、研修生の頃っぽいね」
- 2枚目 お出かけのお写真
ぬいぐるみが好きな妹、妹も歌は上手くない(あんまり聞いたことない)
- 3枚目 帰りの電車の中、妹と一緒に動画を見てる写真
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小学校 高学年
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- 西口「展開が速いですけども、なんだったら、ここで人生の転機が訪れます」
- 人の歌い方や踊り方を真似するようになる
朝の連ドラを真似してカラオケで歌ったら「上手くなったね」と言われ、真似すれば良いんだと気付く 西口「わりとアイドルにあこがれるのはK-POPが大事だったりするのかな?」
- 2分の1成人式で作文を書いた(↑ブログで引用していた作文↓)
千夜一夜の現場でも写真が公開されて読み上げられる
- 小4の時のオーディション
作文を読み続け、ハロプロ研修生、先輩たちに触発されるところまで、作文に記されたまんま、西口氏が読み上げて…
 西口「10歳のときに書いたことを、そのまんま叶えたことについてはどうですか?」 松永「実は自分では忘れていたんですけど、横アリの前に父から「あのときの夢が叶うね!」って連絡が来て♪」 西口「小さい頃の夢がそのまま叶うことの尊さというか何というか…」
- Hello! Project の動画を見て、夢がアイドルから Hello! Project のメンバーに変わる
母が、私が歌が上手くなったってことで、動画を見せてくれた 見せてくれたのは、アンジュルムさんの『乙女の逆襲』だった それまではK-POP中心だったけど、ハロプロへ憧れが変わった
- 3回目のオーディションでハロプロ研修生になる
- アンジュルムの新メンバーオーデに小4でチャレンジ
初めてだったけど、あまり緊張はしなかったけど、3次から先に進めず悔しかった
- 2回目は2016年のモーニング新世紀オーディション
やっぱり3次審査から先に進めず、何が足りないか悩んで落ち込みが激しかった この時は、合格者はおらず、研修生から加賀、横山がメンバーに昇格(→ 参考|「モーニング娘。13期メンバーお披露目が暗示する2017年の新ハロプロ3つの予感とは」)
- アンジュルムさんのときには『臥薪嘗胆』を踊ったし、2回目も何か踊った
それで落ちたのでダンスが駄目なのかと思ったから、3回目にはルービックキューブを一面揃えながら『愛の軍団』を踊ったんです。自分でもシュールだなって♪
2015年 | 『2015アンジュルム新メンバーオーディション』 |
2016年 | 『モーニング娘。’16 『新世紀』オーディション』 |
- 新世紀オーデの再募集がチャレンジ3回目で、そこで研修生に参加することになる
岡村美波、島倉りか、江口紗耶、中山夏月姫らと同期
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- 下記の記事の「新人研修生お披露目 はじめましてのご挨拶」のセクション参照
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- すっごく嬉しかった
ハロプロに入れさえすれば幸せだと思っていた 毎日連絡を待っていて、母に「研修生はどうですか?って来てるよ」と言われ、即答でした
- 掃除の時間に廊下でバケツの水をひっくり返して逃げる
せっかく「ハロプロ研修生入り」っていう人生的な盛り上がりまで話が進んだところで、年表にもう一項目残っていたので、そちらを済ませようとして、こんな逸話が出て来て西口氏も苦笑い
- 今思い出した!
「サッカー、ダンス、新体操、バトン」を習おうと思ってたけど結局どれもやらなかった 新体操やバトンは、母が習わせたかったらしいけど、体験であんまり上手にできずに嫌になった模様
- アイドルの入り口に立ったことについて、父母は応援
松永「他のメンバーの親御さんの話を聞くと、私の両親は、けっこう放任してくれてたみたい」
- 研修生の最初の頃は怖かった
楽しいと思って歌とダンスをやっていたのが、プロの世界に触れたことで、空気がピリッとしていて緊張感があって、どうしたらセンターに立てるか、どうしたら歌割を貰えるか競い合ってる感じが怖かった
- その頃の写真 もう完全に研修生の頃の松永さん
- プリクラでフィルターがかかってる写真(中学)
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中学校
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- 西口「まだ中学生ですからねえ~」
- 同じ学校の人は全員友達だと思い込んでいた
最近になって実感したんですけど、特に接点のない子にも話しかけてたみたいです
- 成長期で毎日親に心配されるほど寝ていた
食事と学校以外はずっと寝てました
- ハロプロ研修生としてコンサートに出演した際に Juice=Juice のメンバーさんがかっこよくて圧倒される
植村さんや段原さんの背が高くて、『微炭酸』の宮本佳林さんに惹かれたのを覚えてます 西口「微炭酸は2019年、今回のアルバムにも入ってますが、このときはまだ松永さんは研修生だったんだねえ」
- 西口「部活動とは違う、研修生活動を続けていて、感じるところはありましたか?」
自分がデビューしてる姿は、全然、見えてなかった 気付いたら、けっこう長く研修生をやっていて、自分的には絶望していた
- 実力診断テストは3回受けてた
回を重ねるたびに自信を失って行っていた 『FIRST KISS』を歌った時に、歌の先生にパワーが足りないと言われて大ショックでした。それが3年目の選曲(『ガタメキラ』)につながることになる。
2017 公開実力診断テスト | 『SONGS』(モーニング娘。) |
2018 公開実力診断テスト | 『FIRST KISS』(あぁ!) |
2019 公開実力診断テスト | 『ガタメキラ』(太陽とシスコムーン) ベストパフォーマンス賞 |
- 中学2年の6月14日に Juice=Juice の新メンバーにとして加入する
紹介動画を撮るよ言われていて、画像の中に Juice=Juice メンバーが登場して来たから、間違った映像が出たんだと思って(編集点待ちで)じっと待っていたら「松永里愛ちゃん」って言われてビックリでした
- 診断テストのベストパフォーマンス賞を獲得しても、デビューが近いとは思ってなくて、別の夢を見つけた方が良いのかと思って、マネージャーさんにも、そんなようなことは伝えていたくらい、実はギリギリのところだった
- メンバーさんと会った時もフワフワで、集合写真を撮って初めて実感がわいたかも
- 愛犬のクロエちゃんと愛猫のビビちゃんが支えです!(今の私!)
ビビちゃんは捨て猫だった(松永家の重要な情報)
- 西口「Juice=Juice になってみてどうですか?」
先輩方が直接言葉で助言してくれるタイプではなく、背中で語るタイプだったのがカッコ良くて、自分も必死だったので、デビューがスタート地点だよって言われていたけど、それを実感しています
- 工藤由愛ちゃんとは仲良くなかったけど、一回喧嘩して、それから何でも言い合えるようになった
- 先輩が優しかったので、「もう無理だ」って思うようなことはなかった
- 代々木のリハーサル期間が一番大変でした
(参考|「モーニング娘。’19、2019年秋ツアーのファイナルは国立代々木競技場にて!~来年以降の動勢に影響か?~」) その頃はユメとも、まだ仲良くなかったし、中学のテスト期間でもあったし学校も変わったばっかりだったし
- リハーサル中とか帰り道で、ユメが泣き出すって場面がよくあった
自分は、あんまり不安定になることはなかったけど、まあ「なんとかなるっしょ!」って思ってました
- ひなフェスへ向けて代々木ライブを見直してましたけど、先輩たちの協力が大きかったです
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- その後はコロナになって、ツアーという活動が十分に出来なくなった
- 井上玲音さんが加入して来て、心が難しかったです
いっしょに活動できるのは嬉しかったけど、歌割的に競争になって、けっこう複雑でした
- 不安に思う前に練習しろって思ってました
- 後輩もできました
後輩によって加入当初の自分を思い出しました けっこう私は呑気に生きているんですけど、2021年は怒涛の年で、歌割も大きく変わって、大きな変化がありました
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